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菊池ひみこ

高水健司

萩谷清トリオ

金子晴美

しばたはつみ

菊地康正 Sax Machines

東京 JAZZ GUILLD ORCHESTRA

サムデイ 気鋭 ジャズ セッション

ERIC MIYASHIRO

佐藤達哉

Minako Obata

渕野繁雄グループ

 

 

  

東京ジャズギルドオーケストラ

 

 

5/9、1999()江古田・BUDDY

 

 「日本を代表するビッグバンドのOBである木村 功、金城寛文、を中心として、林研一郎、奥村晶、伊勢秀一郎、中路英明、片岡雄三、竹野昌邦、守屋純子など、ジャズメン、そしてスタジオミュージシャンをも加え結成された日本を代表するビッグバンドです。」とは代表木村功氏の言葉。詳細はhttp://www.ne.jp/asahi/jazz/guild/にて。

Reeds 金城寛文(As)、近藤和彦(As)、高野正幹(Ts)、竹野昌邦(Ts)、木村功(Bs)

Trps  林研一郎、奥村晶、佐久間勲、菊地成浩、

Trbs  片岡雄三、中路英明、橋本佳明、西田幹、

Rthm  守屋純子(P)、佐藤慎一(B)、伊丹雅博(G)、市原康(D)、

 

 

  

渕野繁雄グループ

渕野繁雄 (Sax)、大石学 (Key)、渡辺建 (Bs)、

菅坂雅彦 (Tp)、和泉聡志 (Gt)、大木理紗(Vo)

市原康 (Dr)

 

1/9、2000()六本木・ピットイン 
 

 渕野繁雄(Sax)/プロフィール

 1949/10,1 北九州は八幡の生まれ。20歳で上京。菊池秀行に師事。24歳で自己のカルテットを結成。新宿ピットインを中心にライブ活動。松本英彦+1 などにも参加。その後、上田正樹バンドを皮切りにステージ、スタジオワークに活動の場所を移して現在に至る。 

 ツアーに参加した主なアーティスト。74/フレダ・ペイン、76/スタイリスティックス、 78-79/上田 正樹バンド、80/ゴダイゴ、83-85、89ー/山下 達郎、86/五輪 真弓、87/シル・ジョンソン、88/テンプテイションズ、92/植木等、95/スティーヴィ・ワンダー、95 ― 99/ゴンチチ、83,95 ―99/吉田美奈子

 僕が20代、新宿のピットインなどに出入りし、「夜の部」の出演を夢見てジャズ界をうろうろしていたころ、必ずと言っていいほど見た名前‥それが渕野繁雄である。彼はジャズの世界で目一杯活動して後、「ジャズがいやになった」そうな。その彼が、スタジオで良く会う「渕やん」と同一人物であることに気がついたのは最近のことである。その彼がまた燃えはじめた。おもしろいタイミングの出会いだと思う。昨年スタートしたバンドだが、いま新しいメンバーで始まろうとしている。一時はジャズを離れ、スティーヴィー・ワンダーから植木等まで、一流アーティストの右から左まで?を総なめしてきた渕野繁雄。市原は約半年ぶりの参加。

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菊池ひみこ

11/1, 2004

目黒・ブルースアレイ

 
 

 

 ライブアルバム "HIMIKO KIKUCHI BIG BAND LIVE" リリース

2004.8 現在 在庫はありません

  

 

 菊池ひみこ(pf)、松本正嗣(g)、納見義徳(per)、加瀬達(b)、吉田憲司(tp)、鈴木正則(tp)、佐々木史郎(tp)、茶谷将彦(tp)、片岡雄三(tb)、橋本佳明(tb)、三塚知貴(tb)、河野聡(b-tb)、宮本大路(sax)、鈴木明夫(sax)、近藤和彦(sax)、佐藤達哉(sax)、Andy Wulf(sax)、市原康(dr)

DISC-1

DISC-2

 

1. IF ONLY FOR ONE NIGHT (K.Yoshida)

1. BIRD FANTASY SUITE (H.Kikuchi)

2. GOT A MATCH (C.Corea)

2. NIGHT IN TUNISIA (D.Gillespie)

3. MANTECA (D.Gillespie)

3. TEEN TOWN (J.Pastorius)

4. I HAVE A DREAM (H.Hancock)

4. ALL IN LOVE IS FAIR (S.Wonder)

5. BUD POWELL (C.Corea)

5. HANG UP YOUR HANG UPS (H.Hancock)

 

 この年、10月の中四国ビッグバンドジャズフェスティバルを見据えて結成。そしてそのテーマ曲"BIRD FANTASY SUITE"を録音するということになり、5月7,8と二日間、六本木はピットインにてのライブをやった。当初はテーマ曲のみのアルバムの予定が、いつの間にか二枚組のCMをリリースすることになっていた。

 まだ結成して間もない頃の初々しさと荒々しさ・・・! 決して完成品とは言えないが、聴いているうちにだんだんはまりこんでくる。恐ろしいアルバムである。

 

菊池ひみこ(Key、作編曲)/プロフィール

 菊池ひみこ‥、女性ピアニストとして1980年代のフュージョン界に君臨した女傑。これが僕が彼女に送る称号。僕が20歳代のころ、友人のギタリスト幾見雅博が、オルガンのうまいヤツがいるんだよとしきりに言っていた。「ひみこ」という名前を聞いて、最初は抵抗があった。何者だろう‥。彼女との出会いがいつだったか、良く覚えていない。たぶん少なくとも20年くらいはおつき合いいただいているのだと思う。

 宮城県仙台市生まれ

1965年 ヤマハエレクトーンコンクールで「トッカータとフーガ ニ長調」を演奏。第二位

1969年 同コンクールで「ミュージカル・ヘアー」をアレンジ、演奏して優勝。その後渡米、アメリカ各地、メキシコ、フィリピンなどを演奏旅行、帰国後本格的に演奏活動を開始。

1980年 Saxのアーニー・ワッツを迎え、初リーダーアルバム「Don't Be Stupid」をリリース。

1981年 アーニー・ワッツも参加し、二枚目「FLASHING」をリリース。

1982年 三枚目「ALL RIGHT」はジョン・ロビンソン、スティーブ・フォアマン、アル・ビズッティ、アーニー・ワッツなどのミュージシャンを迎え、ロサンゼルスにてレコーディング。同年「オリジナルコンフィデンス」ジャズ部門・TOP3に入り、ヒット賞を受賞。

1983年 4枚目「WOMAN」をリリース。同年、TV番組、CMなどの作編曲活動も開始。

1984年 5枚目「REVERCE IT」をリリース。同年、インドネシア・ジャズ・ソサエティの招待でインドネシアツアー。また全国20カ所ツアーなどを行う。

1985年 インドネシアの伝説にインスパイアされて6枚目のアルバム「森羅万象」をリリース。同時に二枚のベストアルバムもリリース。

1987年 CBSソニーに移籍。7枚目「FLYING BEAGLE」をリリース。

1988年 8枚目「SEVILLA BREEZE」をリリース。音楽生活20周年のリサイタル。

1992年 5ブラスを加えたバンド「BEAM」を結成。9枚目「Taste Of Brass」をリリース。

1995年 夫/ギタリスト松本正嗣の初リーダーアルバム「オアシス」の制作・プロフィール・アレンジなどを手がける。

 

 この間、スタミュージシャンとして、また自己のグループを率いて活動。文字どおり、30年を息もつかずに駆け抜けたという感じ。

 プロフィールを取り寄せ、「僕がやってるのはどれだっけ」と聞いたら。「ほとんどやっているよ」との返事。よくよく聞けば、ほとんどではないが、半分以上やっていた。因みに赤文字のアルバムは、不肖イチハラヤスシも参加しいてるアルバム。

 

問い合わせ‥フライングビーグル/03-3760-6912

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  金子晴美 vo.

 このところ、松本峰明トリオや、北島直樹トリオで、晴美さんのバックをつとめる機会が増えてきた。内緒であるが、彼女は僕と同じ歳である。小学校のころ彼女は中野で、私は下落合。(すぐ近くなのだ) 何か親近感を覚える。しかし彼女はボーカルでは大御所。ロン・カーターbs などを迎えてアルバムを作っている。ずいぶん以前の彼女のアルバムの中に私の名前が載っていたという。そこでもまた親近感。僕らはベビーブームの頂点を歩いてきたんだぞっ!!

 金子晴美

 ????年生まれ。ヒントはこのページのどこかに隠されている。水島早苗ジャズ・ヴォーカル研究所出身

 1980年4月にファーストアルバム「アイ・ラヴ・ニューヨーク」をリリース。

 以来7枚のアルバムをリリース。特に88年のロン・カーターとの共演アルバム「アイム・ウォーキン」は世界20カ国同時発売。やはり、この方も国際的な歌手であった。

 米国、フランス、オランダなどのジャズフェスティバルに出演。他に北米のツアーなどもおこなっている。

 温かい、アメリカのホームドラマにでてくるおかあさんのような人。‥文責・イチハラ

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 菊地康正 Sax Machines

  菊 地 康 正

  http://www.interq.or.jp/blues/kose/

   

 

TOPIC

 菊地康正が2000年2月に自己のアルバム”Sax machines”(Vira-0106)をリリースした。市原はその中の一曲だけだが 4. Samba Tokyo-Yokohamaw で参加している。タワーレコードなどでも入手できるが彼のホームページからでも入手できる。先ずはそこで音のサンプルをきいてほしい。

 http://www.interq.or.jp/blues/kose/

 

 98年の2月以来3 回目のSax Machinesである。久々にサックスオジサンたちと楽しい一時を過ごせそうだ。ところで、最初にこのバンドを紹介したとき、康正氏から注文が来た。「俺はオジサンのつもりはない」というのだ。その辺いかにもオジサンらしいが、僕はこのオジサンたちが好きなのである。菊地康正についての詳細は上記の彼のホームページを参照されたい。ここではざっと紹介する。

 

 菊地康正‥

 1953年生まれ。県立秋田高校卒業後に上京し、Sax奏者としてプロ活動開始

 ts,as,ss,fl 奏者、アレンジャー、そして、渋谷、横浜、そして通信教育でサックス、フルート、音楽理論などを教えている。

 1979 松本英彦、三木敏悟とThe Inner GalaxyOrchestra(モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演)

 1984 リーダーアルバムをリリース。"EternalLover"(SoundDesign)

 1986 シドニーでの日豪親善イヴェント"TokyoNight"に日本代表として、自己のバンドで出演、好評 を博す。

 1990 "Play the Saxophone"を中央アート社より出版。

 ‥彼の活動のほんの一部を、彼のホームページより抜粋した。是非彼のホームページを一度訪ねていただきたい。

 Sax Machines ‥

 菊地康正氏曰く‥Sax Machines"サックスマシーンズ"は、菊地康正が、サックス、フルートプレーヤーとしてのみならず、作編曲者としてのの20年以上に渡る経験と貯金を注ぎ込みつつ、新しいアイデァを常に実験している西歴2000年に向けたプロジェクトです。→ 特に「貯金」というところがおもしろい。

 ある時は、super sax、ある時は木管4重奏、変幻自在な菊地康正のアレンジ、咆哮するSax陣、応酬するRhythm隊。Jazz standard から、samba、reggae、texas funkの味わいのoriginalなど、他では聴けない、コンボでもなくビッグバンドでもないゴージャスなサウンドをお楽しみ下さい。毎回必ず新曲あり。The tales of the county、春のサンバなど、菊地康正の最新のoriginalをCheck!

 10/27(土)*菊地康正 (Leader,Arranger,ts,fl) ,沢田一範(as,cl)、池田 篤(as.ss,)、黒葛野敦司(bs) , 福田重男(p)、高橋ゲタ夫 (b) 、竹本一匹(perc)、鈴木禎久(g)、市原康(drs)‥\2,800.

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 佐藤達哉 Birthday Special Live (plays music of Brecker Brothers)

 12/23 1997(火・祭) 新大久保 SOMEDAY

 ゴリゴリのソロプレーヤーである佐藤達哉とERIC MIYASHIRO でおおくりする佐藤達哉 Birthday Special Live。曲はゴリゴリのものばかり。オジサンのわたしとしては、マケソウ。

 佐藤達哉 ts,ss、ERIC MIYASHIRO tp布川俊樹 g、福田重男 Piano、佐瀬 正 b、市原 康 ds

 佐藤達哉氏とは、もう10年、ひょっとしたら15年も前かも知れない。僕が、彼とベースの高水氏に、下北沢のライブハウス(名前が思い出せない)での演奏をお願いしたことがある。そのときは何の宣伝もせずにただ本番の日に集まった。案の定、客は演奏者の数より少なかったという悲惨な状態であった。ピアノが誰だったか思い出せない。表通りに出て、みなでぼんやりしていた記憶がある。

 そのあと彼と会ったのは、ERIC MIYASHIRO のEMビッグバンドであったと思う。ただしスタジオでは何度かいっしょにやっているが‥。そして、今回はコンボでの再会である。

 参考・・http://member.nifty.ne.jp/dolphy/report/satou.html

 佐藤達哉‥テナー,ソプラノ サックス

 1967年12月23日生まれ/早稲田大学モダンジャズ研究会出身‥てぇことは私の後輩。

 大学入学時より独学でアルトサックスを始め、途中からテナーに転向。

 吉田正広、広木光一のグループを経て、84年、85年に、リーダー作を発表。

 その後、佐藤允彦、松本英彦、鈴木良雄、池田芳夫、ジョージ川口、日野元彦、日野晧正などのバンドに参加。その他海外ツアーや、ジャズフェスティバル、スタジオなどの活動で、‥相当忙しかったと思う。

 現在は自己のグループの他、いくつかのバンドのフロントをつとめ、都内のライブハウス、スタジオなどで活躍中。

 98年春には久々のリーダーアルバムをリリースの予定。

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 萩谷清トリオ

 1/20(火) 市川 りぶる(場所:JR市川駅北口から北へ20m、14号線(千葉街道)に出て左折、一つ目の信号の狭い道「大門通り」を右に入り、15m右側。狭い階段を登る。いかにもジャズ喫茶)

 独自のグループ「萩谷清スーパーバンド」の他に、たまに気がついたように、ジャズトリオをぶちかます。場所は市川。別に隠れてやっているわけではない。

 萩谷清 g(←彼の紹介へ)、加瀬達 b(←彼の紹介へ)、市原 康 ds

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しばた はつみ

 11/8(土)京都 アークホテル

 松本峰明トリオでお送りするディナーショー

 はつみさんとお仕事をさせていただくのはほとんど?初めてだと思うが、過去に何かやったことがあるらしい。だけど何をやったかはお互いに思い出せないでいる。先日、別の仕事でお会いした。「たしか、会っているはずだよねぇー」で終わった。相変わらず元気ムンムンであった。

しばたはつみ

‥そのプロフィールを見て仰天した。同じ世代であっても、遥か手の届かないほどの大先輩である。

 1952年生まれ。9才で米軍キャンプの将校クラブで歌い始め、11才で「スマイリー小原とスカイライナーズ」の専属歌手となる。

 15才の頃からCMソングなどスタジオワークをこなす。誰でも覚えているのが、丸善石油「OH/モーレツ」、レナウン「レナウン娘」など。取ったCMは約500本。

 20才で単身渡米、2年間米国ショービジネス界の舞台に立つ。1974年にTBS「サウンドインS」にレギュラー出演のため帰国。とにかく歌いまくっていたはつみさんを覚えている。

 1977年、「マイ・ラグジュアリー・ナイト」が大ヒット。NHK紅白歌合戦出場。現在までにシングル33曲。アルバム22枚をリリース。

 しばたはつみ‥健在であった。

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 Minako Obata+高水健司トリオ

 10/9 六本木アルフィー

 Minako Obata(Vo)、高水健司(Bass)、大石学(Piano)、市原康(Drums)

 高水健司トリオといってもそういうバンドがあるわけではない。彼が今回のメンバーを集めたのである。このメンバーでまともなライブをするのは初めてである。

  Minako Obata 

 このライブが初対面である。大阪生まれ。上のCDは97年3月に発売された彼女の3枚目のアルバム「BRAND NEW DAY」。アメリカとイギリスでも発売。2ndアルバム「TRUE PEACE OF MIND」はADLIB誌の1996年度の「JAPANESE POP SECTIONベストレコード」を受賞している。CDのリリースは、アメリカ、イギリス、スペイン、タイ、ポルトガル、イタリア、南米など。アルバムリリースに際しては、ロスよりミュージシャンを引き連れて、ライブをぶちかますという、‥私なんぞ、隅っこで小さくなっているほかない。彼女のアルバムはポップスのジャンルにはいるが、その彼女がジャズを歌うというので、この話しが持ち上がったらしい。とりあえずやらせていただきます。

   高水健司   

 高水健司と言えば、スタジオミュージシャン界の大御所である。私もスタジオとしての活動を始めた頃からのつき合いである。久しぶりに電話がかかってきた。神戸市出身。

 73年に上京して早速五輪真弓のバックバンド、そして翌年からスタジオミュージシャンとして本格的な活動を開始し、そのまま現在に至る。ジャズ方面としては、市川秀男、佐藤允彦、渡辺香津美、渡辺貞夫など、できることは全部してきたという感じ。見ての通り、優しいオジサンであるが、内にあるものは熱い。

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真梨邑ケイ & ERIC MIYASHIRO tp スーパーセッション'98

 11/15/1998/ "Jazz Twilight" at ギャラクシティ・西新井文化ホール

 スーパーセッションとは、本当にその場で作り上げたセッションという意味だろうか。ピアノの中村力哉氏はその日に初対面ということになる。真梨邑ケイさんは昔一度だけ何かでご一緒した記憶があるが、何だったかは覚えていない。他の面々は僕が知る限りでは、ごっつい実力派。何が起こるか‥楽しみである。

 Vo,真梨邑ケイ、tp,Eric Miyashiro、tb,中川英二郎、pf,中村力哉、bs,加瀬達、dr,市原康

 ERIC MIYASHIRO (エリック宮城)という人を簡単に紹介すると‥彼はハワイ生まれの日系三世。日本での活動を開始したのは1989年。それまでの米国での活動を見るとびっくり仰天してしまう。プロデビューが1977年、サミーデービスジュニアのリードトランペッターであった。そのとき日本で言うなら中学三年生。それだけで十分かも知れないが、その後83年から88年までの間に、とにかく名のあるほとんどすべてのビッグバンドでのリードトランペッターをつとめた経験を持つのである。ここではそのビッグバンドの名だけを並べておく。怪物である。

 BUDDY RICH BAND, WOODY HERMAN BAND, MAYNARD FERGUSON BAND, COUNT BASEI BAND, THAD JONES & MEL LEWIS, FRANK SINATRA, MEL TORME, NATALIE COLE, TONNY BENETTE, SARAH VAUGHN

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